初めての9条カフェ

今日は国立の9条カフェ行ってきました。私はあんまりこう憲法9条を守ればなんとかなると思ってはいない人間なんですが、でも、これがなくなったらもっと酷いことになるだろうとは思ってはいますが何せ原発がある意味好き過ぎて平和問題にまで目が行かないと言う人としてどうよって感じの人間なんですが、今日は私が大好きなカッコいい国分寺エクスペリエンスのゆきちゃんとおちょこさんの二人の演奏があるようなのでソレを目当てにてくてく南武線に乗って行ってきました。

演奏の部は
河野康弘(ジャズピアニスト)と館野公一(語り歌)さんの演奏も、とってもあったかく、カッコ良かったです。

エクペリは胸キュンだった。クラシックギターバージョンもカッコいいなぁ〜。

私もウクレレなんとなく持っては言ったんですが、歌で表現するにはまだダメ人間なので、言いたいことだけ言って・・でも話が長くて伝わらないって感じトホホ。芸のない人間でございます。

皆さん一人一人のリレートークも熱く、胸に染みました。

翻ってみて、アタシが伝えたいことって何なんだろうな、何で伝わらないんだろうな。ってイロイロ考えさせられる日でした。言葉とか表現って難しいね。がんばろう。

9条とか平和の話もそうですが、自治体の話も面白かった。あと、安保があるから基地がなくならないって人もいるけど、フィリピンで基地を追い出したってことがあったっていう話があって、ソレは凄いなあ。どんなだったか調べてみたい。

と思って検索かけてみた。
関連しそうなのでURL張ってみます。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/philippines_2.htm


あとここ↓
http://www.inaco.co.jp/isaac/back/023-2/023-2.htm

その「アキレスの腱」ぶりが遺憾なく発揮された事件が、1991年フィリッピンクラーク空軍基地スービック海軍基地の閉鎖、フィリッピンからの米軍基地撤退であろう。1986年、半ばアメリカの傀儡マルコス政権を打倒したフィリッピンの市民(フィリピン民衆革命)は、すぐに新憲法の作成に着手、1987年2月コラソン・アキノ政権のもと、圧倒的多数で新憲法を採択、発効した。「戦争放棄」「フィリッピンの非核兵器化」条項を含んだこの世界史的憲法は、また「外国軍事基地」の廃棄条項を含んでいた。すなわち第25条第8項である。

 この条項では、「条約として締結されるのではない限り、フィリピンには外国の軍事基地は置かれない。」と銘記されていた。すなわち米比地位協定の期限が来る1991年以降、もしアメリカ軍が引き続きフィリピンの基地を継続したければ、フィリピン議会と米議会の批准を必要とする、いわば「行政協定」ではなく、条約化することを要求したのである。このためアメリカ軍はフィリピンからの撤退を余儀なくされたのである。このときアメリカは「ピナツボ火山噴火による基地のダメージは回復不可能」という捨て台詞を残して、撤退したが、本当の理由は「民衆革命」のダメージだったのである。
http://www.inaco.co.jp/isaac/back/022-8/022-8.htm 「事実上米軍基地撤退を謳ったフィリピン憲法」の項参照のこと。)

 従ってもし日本から米軍基地撤退を狙うのであれば、フィリピンにならって、2010年日米安全保障条約の期限が来る時を念頭に置いて、「条約によるのでなければ、日本にはいかなる国の基地も置かれない。」とする法律を作れば良いと言うことになる。

 「田母神論文」で、米軍基地の法的根拠を日米安全保障条約にある、とした点が誤りであることの意味は以上である。